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季譜の里のこだわり
2017.06.20  スタッフブログ

少し前にfacebookページ季譜の里だよりにて、
新しい「季譜の里ぶれんど」とそのこだわりをご紹介させいただきました。
お陰様でその後も皆様に喫茶コーナーにてご好評いただいております。
本日は、そのこだわりのブレンドを更に素敵に演出してくれる
地元岡山は備前焼のコーヒーカップをご紹介いたします☆

まず、最初にご紹介するのは橋本和哉さんのコーヒーカップ。
飲み口の細い線とまるで開きかけたつぼみの様な、
やわらかでスタイリッシュな形が印象的なカップです。

備前焼きにはよく見られる火襷(ひだすき)ですが、
橋本さんの特徴は焼成を電気窯で行うところ。
ガス窯、薪窯ほど高温にならず、意図せぬ表情も現れにくいですが、
その良い点はやはり「思った通りに仕上がりをコントロール出来る」事でしょうか。
薄く、細く陶土で形を作り、所々は釉薬を用いて
模様も思うがままに描く事が出来る。
橋本さんならではの繊細な手仕事と感性を楽しめるカップです。

 

続いてこちらは鈴木美基さんのカップです。
手前の火襷と、奥の青いグレーの2種類がございます。
季譜の里では一番数が沢山あるので、これでお召し上がりいただく事も多く、
「これ、見た事ある!」いう方もいらっしゃるのではないでしょうか。
程よい丸みが可愛らしく、洗練されていながらも愛嬌のあるカップです。

 

岡山に帰郷するまでは、長年京都にて修行をされていたという鈴木さん。
その繊細なやわらかさを感じる造形にはそこでの経験が生きている様です。
ガス窯でしっかりと焼成された陶土は硬く、丈夫で、使っていても安心出来ます。
藁(わら)がかけられた火襷の模様も備前焼らしく、
鈴木さんならではの「備前焼の伝統」を感じる事が出来るカップです。

 

そして、青いグレーのカップ。こちらも備前焼です。
焼き物に詳しい方には自明のご説明となりますが、
これは「青備前」と呼ばれているもの。

簡単にご説明いたしますと、火襷は「酸化」の産物、
青備前は「還元」によって生まれるものです。
なんだか理科の授業を思い出しますね(笑)。
窯の中で焼かれて、土の中の鉄分が酸素と結び着くと火襷の様な褐色に、
一方、焼かれても結びつかず、逆に酸素を取られると鉄本来の色が出て
青備前の様な発色となります。

従来、青備前を焼成する際は、窯の中で器に被せ物をし、
器の周りを酸欠状態にして焼き上げます。
しかし鈴木さんの青備前は窯自体に特殊な施しを行い、
安定して綺麗な色を出せる様に工夫されています。
ご来館の際、このカップが出てきたら、
是非お連れ様に「これは青備前だよ」と教えてあげてください☆

 

2名の備前焼き作家による手仕事のおもてなし。
季譜の里らしさを器にも求めた結果、出会う事が出来ました。
ご紹介いたしましたコーヒーカップは1階ロビー、
喫茶コーナーにてお楽しみいただけます。
香り豊かな季譜の里ぶれんどと共に、
岡山に受け継がれ続ける伝統の「今」もご体感いただれば幸いです。

 

2015.07.29  季譜の里のこだわり

唐紙の絵『季風の道』。
この絵は、2012年から一年間かけて行ったリニューアルの最後に飾られた。

この絵に対する想いは計り知れない。
単なる旅館の経営者の思いだとすれば、多くの人にとって、
これは読むに値しない内容かも知れない。
しかし、誰の一生からでも一つ位は感じる事があるはず。
もし私が何かを伝える事ができるならこの一枚を使って伝えたい。

まず、この作品は400年の歴史を持つ、
京都唐長の唐紙師であるトトアキヒコさんの作品だ。
この作品には「季風の道」という名前が付けられた。
季節の巡る風の道から来ている。季譜の里に流れる風。

トトさんはこの作品を手掛けた時、
まず最初にある一つの壁を取り除いた。
この作品は左から、
「冬」「春」「夏」「秋」「冬」
と季節を描いている。
普通は「春」から始まるが、
この度の創作は何故かそうはいかなかった。
春から始めると進まない。何かで躓いてしまう。

トトさんはひたすら絵と対話を続ける。
そして、400年間唐紙を見守り続けた先祖の唐紙師達が
それを見守る。

 

依頼され、飾られる場所が既に決まっている絵だ。
多くの人の期待と、それにまつわる責任がトトさんの全身を震わせる。

「誰が春からと決めた!」とトトさんは呟く。

常識に立ち向かう。
世の中の過去、現在、未来、
影響力のあるにんげん達が口々に避難する。
一年は「春」から始まる。
しかし、トトさんは違うと言う。
「冬だ」「冬から始まる」

そしてふと、その方が辻褄があう事に気づく。
始まりはいつも静寂の中、
何もないところから始まる。

そして、春になると、少しづつ芽吹いてくる。
草が。花が。生き物達が目紛しく行動し始める。
そして種は地に潜る。

夏は、青々と茂った山々で動物達が育つ。

そして、実りの秋が来る。
秋は一年の集大成だ。
この一年間の生業が、秋に一度に現れる。
秋によってこの一年が表現されるのだ。

そして、少しづつ、一年が跡形無く、
冬に向かって消えて行く。

ゼロから永遠への物語。

私は思った。まるで波紋のようだ。水面に落ちた一粒の種が、
無限の粒子の集まりである水面を波立たせて消えて行く。

唐に描かれる絵は、普通の絵に比べて抽象度が高い。
水面を眺める絵一つの絵が、
日本の里山の風景にも見えるし、
昔見た公園の風景にも見えるし、
ヨーロッパの田舎の風景にも見える。

絵が殆ど記号化されている為だ。
そして、その記号は長年生き延びて来た記号だ。
だからその記号は、多くの人の記憶を呼び起こす。
その記憶が心を揺さぶる。
無数の記憶の粒が震え始め、心が奪われてゆく。

この記号は文様と呼ばれている。

日本を代表するアートの一つ。
トトアキヒコさんが生んだ唐紙用の版木を使って書いた絵。